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恵まれた時間

 

実家に戻り、はや数年。

実家暮らしにほんの少しの罪悪感もない。と言えば嘘ではあったが、ここ最近、逆に、この時間は素晴らしいものとして受け入れられるようになった。

 

元旦の夜、父の兄が亡くなった。

つまり、わたしの伯父。まだ63歳。

伯父が亡くなり、わたしは悲しかった。

祖母はまだ健在なので、祖母の家の仏壇にある伯父の遺影に手を合わせる度、まだ涙のひとかけらがこぼれてしまう。

悲しい。辛くはない、けど、やはり、悲しい。

わたしは父方の伯父も母方の伯父も大好きだ。

 

わたしには姪と甥が5人いる。

実家にいるおかげで、彼らの成長を間近で見れていると思うと、実家暮らしをしていて良かったと思えた。

わたし含めて2人、3人で遊びに行くこともしょっちゅうだし、保育園帰りに預かっている子たちもいるので、他人のような恥じらいは互いにない。

子どもに気を遣われないこの距離が、どんなに贅沢で豊かなものか。

子どもたちを連れ、割と遠くの外(車、片道2.3時間)へ遊びに連れていくことを許すほど信頼してくれたり、子どもたちを側にいさせてくれる兄や兄のお嫁さんたちにありがとうの気持ちが溢れる。

 

わたしが実家にいなければ、普通ならあっという間に通り過ぎてしまう姪甥の成長を側で感じることなどできないのだから、嬉しい。本当に嬉しい。

 

また、父や母とは、背けていた代々受け継がれてきた業(カルマ)と痛々しくも向き合えたことで、改めて家族をやり直している気がする。純粋に、彼らの前で子どもでいれるようになった収穫は大きい。

業は、やはり両親が健在であれば両親と向き合ったほうが絶対にいいと思った。

持ち越しという名の逃げで、新たな恋人やパートナーとのあいだに自らの家族をつくる人も多い。

それでも結局は業がなくなるわけではなく、業を持ったまま引越しし、ただ相手自体を変えただけなので、なんらかの形でその業と向き合わざるおえなくなる。

 

わたしはパートナーとは純粋に愛し合いたい気持ちが強いから、業は業が生まれたその場で昇華したい、という頑固さと潔癖さから、持ち越しはしなかったのだろう。

 

実家にいる今の時間は、とても豊かだ。

これでよかった、これでいい。

幸せな時間を与えられているのだと、改めて思う。